【ヨガ哲学】わたしは何かを探る方法
こんにちは、サルバニです☺︎
突然ですが、
わたし達って、
知らずにいろんな役割を演じています。
例えば、30歳の働く既婚女性を例にとってみます。
家庭では妻を演じ、
子供がいれば母親を演じ、
職場では社員なり従業員を演じ、
対実家の両親では娘を演じます。
さらに社会では女性を演じたり。
演じるっていうとわかりにくいかもですが、
それぞれのシチュエーションで見せる顔は違うので、
演じ分けているといえるのではないでしょうか。
でも、
本当は、わたし、ってひとりで、役柄とは違うものですよね。
だって、一緒ならば、
分けるとかできない。
観察できる、
考察できる、ってことは、
わたし、は観る側です。
そして役柄のわたしは、観られる側。
ヨガの哲学では
ふだん演じている役割を、一つ一つ、
これは違う、
あれも違う、
とやっていったとき、
最後に残るのが本当のわたし、なんですって。
すべての行為をやめて、
ただ存在しているわたし。
そんな方法をヨガでは、
ネイティネイティ、っていいます。
和訳するなら、
それでもない、あれでもない、です。
制限を与える付加的要素を取り除いていくこと。否定の手法です。
わたし達は常に何かと自分を同一視しています。それはイコール限定しているということ。
そしてその限定は本当はそうじゃないよー、
と、その限定を否定して属性を取り払っていくと、
最後に残るのが、本当のわたし。
例えば、
もしあなたが何かが得意で、
ほめられて、それで気分がよくなっているならすでにあなたはあなたじゃないものと同一視して、それにとらわれている。
あなた自身じゃなく、
あなたという映画の主人公、
つまり自分じゃなくて人の欲望を投影するものになっている。
ヨガは、
いまそのものにあり続ける時間。
ネイティネイティをしなくても、
役柄を脱いでただ存在するレベルにいられる時間です。
ネイティネイティ、
今日のクラスで話しがでたので、
ちょっと書いてみました◎
なんかよくわからんがやってみたい方は、
早速、一瞬でも意識した呼吸してみると、
わたし、ただ存在している、ということが味わえるかも。