サルバニヨガブログ

ヨガを基本に興味あること書いています。めざしているのは【向上と共有】。自分によかったこととかシェアしています。とかいいつつ覚書にもなっています。

ヨガのゴール続き

【わたしは何かを探る方法】のなかで紹介した、ネイティネイティ、

すべてを否定していくって方法で。

 

全部にオッケーをだしたら、

あれもオッケー、

これもオッケー、

そうすると、

全て、がオッケーなので。

 

オッケーやだめ、という概念がなくなる。

すごいよね✨✨

 

だから判断することなく、

 

全てをそのままで、

 

いいとも☺︎と認めていく。

受け入れていく。いいともいいとも。と

愛をもってみつめる。

 

例えばポーズの最中で。

 

曲げたいけど曲がらない膝。とか

伸ばしたいけど伸びない足。とか

倒立して持ち上げたいけど上がらない身体。とか

 

そうならなくても、

その状態を受け入れる。

まるごと受け入れ。

 

自分が、イイなって思う形はあるし、

それを目標にそこを目指していくのは

悪いことじゃない。

 

でも、

目指したら、目指してそこに向かって行動したら、

一瞬、その自分との間にスペースを作り、

つまり目指す力を少し緩めて、

 

自分が

何を感じているか、

何が起きているのかを感じる。

 

さっきの身体でいえば、

 

伸びた膝とか足とか、

綺麗に上がった身体とか、

 

そこを目指すけど、

その完成の形に執着するのではなく、

完成の形ではない自分も認めちゃう。

 

そのときにもし、

でもやりたいし!できないわたしは、、はーーっ↓とかってなったら。

 

そんな自分も認めちゃうのです。

 

はーーっ↓ってなっても、

はーーってなったね、

でもそれでいいよ。と。

 

でも、いいよって言われてもできない。

またはーーっ↓ってなる。

はーーってなったね、それも、いいよ、と。

 

 無限ループ。

 

これができたからすごい、

あれもできちゃうからもっとすごいの、

と、

何かの役割、

世間や

友人恋人家族に求められる役割をしたり、

条件つけるのではなく、

 

そのまんまで

認めるのです☺︎

 

役割を脱ぎ捨てていく。

 

ヨガって、

役割を脱ぎ捨てて、

本来の自分に帰れるひとつの方法。

 

 それを繰り返し行うのがヨガ。

 

思考のクセってあるから。

認める、受け入れる、って思っても、

やっぱりムリー❗️ってなるときもある。

 

 でも、気づいたら戻す。

 

ヨガの時間、

しっかり自分を感じていく。

 

感じたことをそのまま受け入れる。

 

気づくと、感情をしっかり意識できると、

その感情に流されない。

 

そうすることで

穏やかなこころがまた顔をだしてくる。

ヨガのゴールでしたね。

 

 

 

認める、

は、イコール

受け入れる、

は、イコール

愛、

だと思うのだけど、

 

わたしをそのまま受け入れたら、

わたしの目の前のあの人も同じように受け入れられる。

 

これは新約聖書の『ルカによる福音書』のなかで

『汝の隣人を、

汝みずからの如くに愛せよ』

といっているとこにも通じる。

 

心理学では、

自己受容が高い人ほど

他者受容できる、

というけど、

そうだろうな。